『おかえり』に涙した日」

エッセイ



植物公園で撮影を終えた私は、ふと「たまにはいつもと違うルートで帰ってみようか」と思い立った。

調布駅で途中下車すると、「糸」が聞こえてきて思わず足を止めた。

中島みゆきさんの曲の中でも特に好きな一曲で、カラオケでもよく歌っていた。
けれど、その日私の足を止めたのは曲だけではない。

歌っていた男性の声があまりにも美しく、まるで金縛りにあったかのように、その場から動けなくなってしまったのだ。

ゆっくりと歩きながら人の輪をのぞいてみる。
そこには、ギターを片手に歌う小柄な男性がいた。

少しもじゃもじゃした髪が印象的だった。

最近、私が気になる人は、なぜか髪がもじゃもじゃしている。

背中越しに彼の歌を聞きながら歩いていたが、次々と流れる曲はどれも私の好きな曲ばかり。
気がつけば小さな声で口ずさみ、一緒に歌っているような気持ちになっていた。

いつもなら「早く来ないかな」と思うバスに、その日は「もう少し遅れて来てほしい」と願っていた。まだ聞いていたい、その気持ちがどんどん大きくなっていく。

背中で聞いていたはずの私は、いつの間にか彼の方を向き、目が離せなくなっていた。

やがてバスが見えた。「どうする、どうしよう」

そう思った次の瞬間、私は長蛇の列から抜け出し、バスには乗らず、MCを語る彼の前へ向かった。

一曲だけ動画を撮影し、数枚の写真を撮った。

あとはただ、静かに耳を傾けた。

曲の合間、彼は「僕にも辛かった時期があった」と話し始めた。

そしてオリジナル曲を歌い始めた。

その歌が流れ始めた瞬間、胸の奥が熱くなった。

私は思わず右手で、胸元をぎゅっと押さえた。

次第に彼の姿も、その周りの景色も滲み始める。

左手でお腹のあたりを強く握りしめ、唇をきゅっと閉じた。

涙がこぼれないように。


人前で泣くのは恥ずかしい。
いつの間にか、そんな思い込みを抱えるようになっていた。

誰が涙を流す私を見て、何かを思うだろう。
きっと誰も見ていない。

それでも私は帽子を深くかぶり直し、マスクを少し上げて涙を隠そうとしていた。

学校で習っただろうか。
いつから私たちは、人前で泣いてはいけないと思うようになったのだろう。

涙をこらえ、歯を食いしばり、平気な顔をすることを覚えてしまったのは、いつからだろう。
多くの人がそうやって生きていて、それが当たり前になっているからなのかもしれない。

「泣いていいんだよ」

私たちは大切な人にはそう言えるのに、自分自身には、なかなか言えない。

調布駅前で偶然出会ったその曲は、そんなことを静かに問いかけてくれた気がした。


あとがき


涙したのは悲しかったからではなく、心の奥にしまっていたものに、ふいに触れたから。

「おかえり」という言葉は、とても短い言葉です。

でもその中には、待っていてくれる人がいること。

無事に帰ってきたことを喜んでくれること。

そして、ここにいていいんだという安心感。

そんなたくさんの想いが込められているような気がします。

一人暮らしに慣れてしまうと、その静けさが当たり前になります。

けれど、だからといって「おかえり」が必要なくなったわけではないのかもしれません。

だからこそ、「おかえり」という歌詞が、あの日から何度も心に浮かんでくるのでしょう。

調布駅前で偶然出会ったひとつの歌は、「泣くこと」や「人の温かさ」、そして時には

自分の心に耳を傾けることの大切さを、静かに教えてくれました。

この記事を見つけてくださったあなたへ。

おかえりなさい。

そして、今日もありがとう。



―どんな曲か気になった方へ―
公式サイトを見つけましたので、貼っておきます。

曲名はおかえりではなく、「雨でも」です。

HOME | 斉藤慶-SAITOKEI-

コメント

タイトルとURLをコピーしました